あの世の話し

あの世にかかわる物語り

オリオン

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コトコト コトコト
コトコト コトコト 

夕食の支度をするキッチンで、火にかけた鍋が小さな音をたてている。

「今日はさっちゃんの好きな肉じゃがよ。」
幸子のよろこぶ顔を思い浮かべながら、優子はひとり言をつぶやいた。
キッチンは鍋から立ち上る美味しそうな匂いにつつまれている。

「そろそろ幸子がお腹をすかせて帰ってくる時間ね。」
そう言いながら料理の手を止めて時計に目をやると、6時をまわっている。

「遅いわ。」
呟く優子の心に大きな不安が襲ってきた。

「何も無ければいいんだけど。」
そう言いながらも、何かあったに違いないことはわかっていた。

幸子は学校で酷いいじめをうけていた。
友人も無くクラブ活動に入ることもできないため、毎日6時前には帰宅しているのだった。
6時を過ぎても帰らない幸子。
帰宅が遅れている幸子のことを思うと優子の心は痛んだ。

 

幸子へのいじめが始まったのは小学5年の時だった。
体の弱かった幸子は、風邪をひくと一週間も学校を休んでしまうことがあり、
その日も数日学校を休んだ後の登校だった。

校庭にさしかかると、登校する幸子に気づいた同じクラスの男子が幸子のことを指さし、笑いながら走り去っていった。

「なんだろう。嫌な感じ。」
不愉快な気持ちと不安な気持ちを抱えながら教室に入ると、
幸子に気づいたクラスの皆が、幸子を避けるように逃げていった。

 

いじめのきっかけは些細なことだった。

「幸子のことをみんなで無視しようぜ。」
クラスのリーダ格の男子が始めたいじめ遊びだった。

 

幸子が何か悪いことをしたわけではない。
幸子を無視する理由などどこにも無かった。

 

いつものように隣の席の子に「おはよう」と声をかけたが、
その子はうつむいたまま返事をしない。

幸子はクラスの中の空気がすっかり変わってしまったことに気付いた。

「何かあったようだ。」
幸子はなんだか怖くなってしまい、
自分の席につくと引きこもるように黙っているしかなかった。

気が小さく優しい心を持つ幸子はクラスの友達に反論することが出来ない。
歯向かってくることのない、そんな幸子に男子たちは物足りなさを感じ、
いじめはエスカレートしていった。

体育の時間から戻った幸子が上履きを隠されてしまい、
裸足のまま先生と二人で校内を探し回ったこともあった。
プレゼントでもらった大切な筆入れを壊されたり、消しゴムのカスを頭からかけられたりもした。

連日続くいじめにすっかり元気を無くした幸子。
引きこもりがちになった幸子に気づいた優子が話を聞くと、

「学校で誰も口をきいてくれない。」
と初めていじめにあっている事実を打ち明けた。

優子が学校に相談すると教師は、
「いじめがひどくならないよう注意する。」
「いじめは一時的なもので、時間がたてば元の関係にもどるだろう。」
といううわべの答えしか返ってこなかった。

「幸子に問題があるはずが無い。」
「あの子は悪いことなんかしていない。」
優子は信じていた。

教師が言うように、子供達のいじめがいつまでも続くことはないと思い、
いずれ時間が解決するだろうと楽観的に考えていた。

しかし、幸子へのいじめはその後も執拗に続いた。

6年生になり中学進学を考える時期になった。
学校の環境をかえたほうが良いと思い、地元の公立学校ではなく私立中学への進学について話し合った。

時々学校に行きたくないと言って休むことはあったが、
いじめが続いている中でも幸子は頑張って登校を続けていた。

「頑張れば中学校も行けるよ。」
私立中学はかなりの学費がかかることを知っていた幸子は、
家に負担をかけたくないという思いから私立進学を断った。

優子も、中学になれば環境も変わるだろうという期待もあり、
結局公立中学への進学を決めた。

これが大きな過ちだった。
幸子へのいじめは中学校進学後も続き、内容も悪質なものに変わっていった。

入学祝いにと買い与えたスマートフォン
幸子は大喜びで、お気に入りのケースを買い揃えたり、
大好きな子猫の写真を画面に設定したりして大切に使っていた。
毎日スマートフォンで音楽を聴いたり動画を見たり、
好きなアイドルのニュースを見るのがお気に入りだった。

ある日、同級生から告げられた地域の中学生が使うローカルSNSを見て幸子はショックを受けた。
そこには幸子の実名とともに、嘘まみれの書き込みがあふれていた。
同級生が撮影したのか、自宅付近の写真や幸子らしき少女の写真もあった。
そして、いじめの話題は他校の学生にまで広がっていた。

絶望した幸子。
その日以来、幸子はスマートフォンを持ち歩かなくなり。
今では電源が切られたまま、机の上に置かれていた。

 

「可哀そうな幸子。。」
帰りが遅れている幸子のことが心配でならない。

その時、ガチャリと玄関のドアが開く音が聞こえた。
「ただいま。」
消え入りそうな小さな声がかすかに聞こえ、キッチンのドアから幸子が顔をのぞかせた。
泣きはらした目が見える。

「おかえり。」
優子はそう声をかけた後、続く言葉をのみ込んだ。

「どうしたの。」
「何かあったの。」
そう聞きたかったが、遅れた理由は明らかだ。
学校で何か酷いことがあったに決まっていた。

「少し休むね。」
そう言うと幸子は二階の部屋にあがっていってしまった。

幸子の辛い心を思うと胸が痛み、優子はキッチンで涙を流した。

 

部屋に入るとカバンをそっと床に置き、ベットにあおむけになった。

今日は酷い一日だった。
今日の出来事を思い出すと耐えきれないほど胸が痛み、涙があふれてきた。

中学入学のタイミングで他地区から転校してきた一人の女の子がいた。
その子は、幸子がいじめをうけていることを知ったうえで構わず幸子と友達付き合いをしてくれた。

まわりの学生はそのことが面白くない。
当然のようにその子もいじめのターゲットにされていった。

学校の中ではいつも二人きりで過ごしていた。

そんな彼女が今日、
「幸子さんちょっと話があるの。」
と声をかけてきた。
いつもは幸子のことを「さっちゃん」と呼ぶ彼女が、さん付けで呼んだ。

嫌な予感がした。

「ごめんなさい。私もうこれ以上いじめに耐えられない。」
「幸子さんと口をきかないことで、私のいじめを許してもらえるの。」
「本当にごめんなさい。」

彼女は涙を流しながら幸子に詫びると、幸子のもとから走り去っていった。

予感は的中した。
学校の中で唯一会話できる友人、たった一人の友人に裏切られた。

あまりのショックに返す言葉も無く、呆然と立ち尽くすしかなかった。

悲しさと悔しさで涙が止まらず、
家までどう帰ったのかも覚えていない。

「もうどうでもいいや。」
全てが終わったような感じがした。

 

暗くて狭い階段を一段また一段と上っていく。
コンクリートの非常階段は冷たく、踊り場からときおり吹き込んでくるビル風に幸子はブルッと身震いをした。

何段上っただろうか、屋上に近づくと鉄製の頑丈そうなドアが見えてきた。

「開くかな。」
そう思いながらドアノブに手をかけると、予想に反して鍵がかかっていない。
重たいドアを力いっぱい押し開くと、突然強い風が幸子の顔に吹き付けてきて長い髪が後ろに吹き流された。

ビルの屋上に一歩踏み出す。
屋上は暗闇に包まれていて良く見えないが、ビルのまわりには街の夜景が広がっていた。

屋上を囲むフェンスに近づいて行き、フェンスを見上げた。
3mくらいあるだろうか。
フェンスの上端は内側に向けて傾斜していて、その先には有刺鉄線の針が見えた。

「登れるかしら。」
幸子はフェンスの金網を強く握りしめ、フェンスに足を掛けた。

その時足元の真新しいスニーカーが目に入った。

「いけない。これは置いて行かなくちゃ。」
そう言ってフェンスにかけた足を外すと、履いているスニーカーを脱いでフェンスの横に揃えて置いた。

 

薄いピンク色の入ったお気に入りのスニーカー。
それは母さんと二人で買い物にいったときに、母さんが買ってくれたものだった。

一か月ほど前の休日。
母さんと買い物に出かけたときのことだった。

いつものショッピングモールを歩いていると靴屋さんの前にセール品のスニーカーが並んでいて、その中の一足が幸子の目に止まった。
その色合いが今まで見たことのないほど可愛らしく、一目で気に入ってしまった。

「こんなスニーカーで学校に行けたら楽しいだろうな。」
いじめをうけている自分のことをすっかり忘れ、楽しい学校生活を想像した。

こんな可愛い靴があれば、毎日いじめにあっている苦痛を和らげてくれるかもしれない。
幸子はその靴がどうしても欲しくなった。

「お母さんちょっと待って。」
「そこの靴屋さん見てもいい?」
思わず、母親の腕をつかんで引き留めた。

「この靴、かわいい。」
そう言って幸子は店頭の靴を手に取った。

幸子が物をねだることはここ数年なかった。
いじめにあう日々をどうやって乗り切っていくのか、
そのことで精いっぱいの幸子にはショッピングに気を回す余裕はなかった。

幸子が靴をねだってくれることは、優子にとっても嬉しいことだった。

「あら、かわいい靴ね。」
「さっちゃんに似合うわよ。」
そう言って、サイズをあわせるよう幸子を促し二人で店内に入っていった。

「お母さん、ちょうどいいよ。」
幸子は嬉しそうにそう言って微笑んだ。

その笑顔は、幼いころの幸子を思い出させた。

「よかったわ。」
「それじゃこの靴を買いましょうよ。」
優子は幸子の手を引いてレジに向かった。

買い物の帰り道、幸子は優子の腕にしがみついて離れなかった。

「この幸せな時間がいつまでも続いて、終わりませんように。」
あの時そう願っていた。
わずか一か月前の出来事だった。

 

フェンスを掴む腕に精一杯の力を入れ体を引き上げた。
フェンスの網目に足の指をかけながら一歩また一歩と上っていく。

時々体が吹き飛ばされそうなほど強い風に煽られたが、
その度フェンスにしがみ付いて振り落とされないようにふんばった。

フェンスが内側に傾斜している部分にさしかかった。
傾斜部分にしがみつくと幸子の体は宙づりのようになったが、腕の力だけで体を支えた。

歯を食いしばって腕に力をこめ左足をひきあげると、フェンスの先端にその足を掛けた。
有刺鉄線の針がふくらはぎに突き刺さり幸子の体に痛みが走ったが、
気に留めることなく幸子は体を引き寄せて、ついにフェンスの上に馬乗りになった。

目の前には街の夜景が広がっている。

有刺鉄線の針で手のひらやふくらはぎ、ふとももから血が流れていたが、
痛みはあまり感じない。
もう一度体に力をこめて内側に残る足を跨ぎ、フェンスを乗り越えた。


強い風がふたたび吹いて、幸子の髪を流していく。

足元には行きかう車のライトが小さく光っている。
通りを歩く人の姿も見えた。
そこは母さんと買い物で歩いた通りだった。


「なんで私がいじめられるんだろう。」
「なぜこんなひどい目にあうの。」


「いったい私が何をしたっていうのよ!」
涙があふれて止まらない。


「こんな世界。」

「こんな世界、全部消えてなくなれ!」

そう叫ぶと、幸子はフェンスをつかむ手を離した。

 

 

コトトン コトトン
コトトン コトトン

線路の継ぎ目をまたぐ振動が体に伝わってくる。

坂を登っているのだろうか、
列車は少し傾いていて幸子は右足にほんの少しだけ力を入れて体を支えていた。

車窓には綺麗な星空が広がっている。
列車のなかは暗くてよく見えないが、黒い人影が何人かみえる。
幸子のほかにも乗客がいるようだ。
猫だろうか、動物を抱えているような人影も見える。

窓の外に目をやると、そこに綺麗な三ツ星が見えた。

「あっ、オリオンだ。」
幸子が大好きな星座だ。
三ツ星の下には雲のように輝く星雲や、ひときわ明るく輝くシリウスも見える。

「綺麗ね。」
幸子は車窓に見える星空に見とれていた。

ふと足元を見ると、薄いピンク色の入ったスニーカーが見えた。

「よかった。」
幸子の心が安らいでいく。

「なんだか眠いわ。」
そう言って幸子は瞼を閉じた。

 

少し眠っただろうか。
薄目を開けるとあたりは昼間の明るさだった。

「夜が明けたのかしら。」
そう言って車窓を見ると、窓の外には一面の星明かりが広がっていた。

幸子の目の前には、
いままで見たことのないほどの大きさでオリオンが輝き、
大星雲は、新たに生まれた無数の星の輝きで目も眩むほどの光を放っていた。

 

そこは新たな星が生まれる場所。
トラペジウム。

全ての命はそこで生まれる。


幸子をのせた列車は、
オリオンのトラペジウムに向かって走っていった。


おわり